[エッセイ/随想]平等と公平
(2023/05/28 13:38:31)


始まりと終わりは平等。プロセスは公平。

例えば、「人生」で当て嵌めてみる。

始まり=平等
「生まれる」ということに格差はない。大抵がおとやんおかやんの営みによって生を授かる。

終わり=平等
「死ぬ」ということに格差はない。富豪だろうが乞食だろうが、イケメンだろうがブサメンだろうが等しく死ぬ。

プロセス=公平
平等に生まれ平等に死ぬ訳だが、プロセスには「自身の意志」が介在する。
例えば、「生まれたのも死ぬのも平等で、真ん中は公平だ」等と「考えている奴」と「考えていない奴」が「平等」のはずがない。これは善悪や優劣の二元論ではなく「違う=等しくない」ということを言っているだけであり他意はない。

ちょうど、日本の税制「累進課税」と同等の価値観だ。

多く稼ぐ者はより多く課税され、少なく稼ぐ者は相応に課税される。
「納税する」ということにおいては「平等」だが、そこに金銭多寡が生じている以上、「公平」と言わざるを得ない。


生と死は一瞬だ。言うならば「平等な期間」というのも一瞬で溶ける。
大半を「公平」の中で過ごすことになる訳だが、そのことを勘違いしていると、いたずらに自身にとっては不都合なことで埋め尽くされるような気がしてならない。

「あの上司、俺に恨みでもあるのかな… なんで俺ばっかり怒られるんだろう…」
「あの先輩理不尽だよな… 自分が機嫌悪い時だけ八つ当たりしてくるしな…」

前者は「期待」だ。
潰したいから怒っている訳ではない。「お前ならできるはずだ。上がって来い」という檄なのだ。本当に潰すつもりならば何も教えないし手も貸さないだろう。

後者は「負への耐性強化」だ。
例えば、客先などクライアントのある商売では理不尽な要望のほうが多いとも言える。そればかりとも限らないが、良いことばかりに囲まれていると「胡散臭さ」というリスクヘッジも甘くなる。「何かウラはないのか?」という警戒心も薄れる。

平たく「手前の足元の理不尽にも耐えられんようでお客様の理不尽に耐えられるのか?」と。敢えて、悪者を演じることによって本質的にクリアせねばならない「負への耐性を強化」しているのだ。お分かりか?

後者の場合(昨今では少なかろうが)、こういった上司なりから「先日は言い過ぎたな。完全に八つ当たりだったかも知れない」と、折れてくる場合も無きにしも非ずだろう。
*少なくとも僕の心情的にはそうだ。

何でもかんでも責任転嫁していては上司の上司たる所以がなくなる。
上司とは部下の失態・失敗をも含め、すべて丸かぶりせねばならない存在だからだ。

故に「鍛える」。それは自身の保身が最大の目的ではなく、自身が通過した中で得た知見なりを後輩・若手に引き継ぐ、という名目があるからだ。

。。と、プロセス渦中において「平等ではなく公平だ」と言わしめた主旨は伝わっただろうか? ポジションベクトルの差分で平等な所以なんぞ消し飛んでいるのがお分かりいただけるだろう。

同じじゃねえんだなぁ、悲しいほどに。
だが、人として──人類というただ一点のみを拠り所に平等振りたいんだろうなぁ、と。

何人も誰それに成り代われなく、また、成り代われたとしても「平等」ではない。
僕はそう捉えて久しい。

また、平等からは何も生まれない、とも考えている。
歴史から辿ると、格差があるから故に「下剋上」や「革命」が発生し、人類は進歩してきたのではなかろうか。

何となく敷かれた昨今の「コンプラ旋風」には辟易とする。

 安全第一は工事現場だけでたくさんじゃ。
 無菌室? ビニールハウス? ぬるま湯と何が違うんじゃ。
 頭でっかちが小利口に小さくまとまるなや。

 能書きはいい。魂で来いや。

我が魂の命ずるままに──。

Tags: 不都合, 二元論, 優劣, 公平, 善悪, 平等


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