[エッセイ/随想]猛暑にて紫煙を燻らす
(2018/07/16 11:38:04)


空前絶後の猛暑の中、ふと脳裡をよぎる。

自身の女性遍歴を辿ると、今までには居なかったパターンだな、と。相手のことを自分事として捉えていない訳ではないが、飽くまでも他人ということをしっかりと認識できている。それが子まで設けた経緯なのかな、と自分なりに解釈している。

僕は僕で常に新鮮味を感じているのだが、彼女にはそれがないそうだ。済みませんね、と。

これだけ人生を共有しているのだから、他人行儀な間柄ではないつもりだが、新鮮味とは別次元に居るものだ、と。僕はそう捉えている。


親しき仲にも礼儀あり。

近親者にはゼロ距離で応対する僕にとって、この言葉は通念的には当て嵌まらない。

それは、本当に儀礼を尽くすということは、それを相手に意識させないものだ。一歩退いた形での奥ゆかしいまでの健気さである、と。そんな風に捉えているからだ。

或いは、気を遣われるということは、どんなに丁寧であっても距離を置かれている、ということであり、ともすると、慇懃無礼にもなりかねないのだ。

気遣いということが、どれだけ難しいことかを痛感する。相手を上回り、先回りして更に配慮を加える──単純に考えても上から目線そのものなのだ。

ヒエラルキーが重視されない昨今。この感覚を理解し、養うのには相当骨が折れる。或いは、その感覚は既に淘汰され、不要なものとして頑迷でレガシーな昭和臭漂う価値観としてしか拠り所を見出だせないのかも知れない。

思うに、現行の気遣いは同調圧力の延長線上でしかないと感じている。空気を読め、と。それは単なる「右向け右」であって帝国主義のそれを彷彿とさせる危険性すら垣間見えるのだ。


気遣いひとつとってもヒエラルキーが取り沙汰される価値観・感覚・定義の相違──昨今、対異性間ではどのような気遣いのベクトルが成立するのか?

飽くまでも他人。

この価値観が友愛的高度に浸透せねば、お互いの気遣いというものは本当のところでは何も発揮されない。

例えば、上下関係を度外視して、同一水平軸上で繰り出されるそれは、生温い「なあなあの間柄」でしかないと感じるのだ。


上か下か、という感覚・判断基準。これは白黒ハッキリさせる、という判断基準とは似て非なるものだ。常に勝負をしている訳ではないのだから、勝敗を決する必要はない。

既知の通り、人というものは、上だと気持ちに余裕が生まれ、他人に優しくできる。逆に、下だと精神的に逼迫し、他人に対して理由のない劣等感や攻撃性を育んでしまう。

──と、この通念を逆転させる。

自らがすすんで下に甘んじる。

「負けるが勝ち」や「カカア天下」の話をしている訳ではない。自らがすすんで下で居られるということは、いつでもそれを逆転させることができるという自負の表れなのだ。

本当はどちらが上なのだろう?

それらの邪推や憶測を相手にさせない熟慮が本当の気遣いであり、ジェントリーなのだ。


さて、今までにはない女性のパターンで長続きしている現行の婚姻関係だが、何故か双眸を細めている自身が居た。

『随分と大人になったものだなぁ』

そんなことを独り言ちて紫煙を燻らす。


「ちょっと、いつまで煙草吸ってんの!? 邪魔!!」
「はひー」

そんな感じで♪

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