[エッセイ/随想]我慢と辛抱
(2018/04/16 09:25:21)


我慢と辛抱の違い。

「我慢したほうが良い」や「我慢は良くない」などで分岐するが、我慢の定義によってそれぞれに取捨選択されるよなぁ、と感じた。

僕が感じるところの「我慢」とは、「そうしておけば後に自身の望むことが実現する」的に捉えている。云わば、「努力の賜物」といったところとして捉えている訳だが、損得勘定を抜きにしても、我慢することのメリット──つまり、後に控えた自身の好都合なりが見出だせなければ、僕は我慢する必要性を一切感じない。


僕が思うに、多くは「我慢と辛抱」を混同しているのではないか、と感じているのだ。

「辛抱」とは読んで字のごとく「辛さを抱える」ということ。故に、必然的に辛い。そして、あろうことか、そうしたところでそれが解消されるケースというのは殆どないと云える。

然るに、「我慢するからストレスが溜まる」ではなく、「辛抱しているからストレスが溜まる」──この我慢と辛抱の違い。ここを混同しているのではないか、と。

また、ストレスというものはすべてがすべて負の要素ではない。それがなければ「跳ね返す」や「発散」などの現象が起きないからだ。所謂「凹まなければ跳ね上がれない」という理屈。

簡単に分けると、
「我慢によって蓄積されたストレスは後の報奨のため」
「辛抱によって蓄積されたストレスはそのまま旋回」
──こんな風に分けられるかも知れない。

そして、辛抱によって蓄積されたストレスはいつか暴発する危険性をも孕んでいる。


我慢と辛抱を使い分けることによって、自身に降り掛かる対外的事象なりが、割りと得心のゆく形で自身に取り込まれるのだろう。


何だ、この冷たい視線は… 痛い、とても痛い… そうか。これが『我慢』か。我慢、我慢…… こうしておれば、いつかきっと──

呉々もご自愛下さいませ。

*2017.07.28・草稿


我慢と我が儘は近似値にある。

我慢を強いられる、と受動的に捉えられがちだが、そうするのは当人の意思であり、すこぶる能動的なのだ。嫌なら我慢する必要はない。

にも関わらず我慢するということは…

我慢と我が儘は近似値にある。

*2018.04.11・追記

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