[エッセイ/随想]社会的社会性 - 最大公約数と云う括り
(2015/10/26 21:10:00)


漫然と抱き続けていたつまらなさの原因が、ようやく紐解けたような気がする。
それは「社会的」というキーワードに集約される。

例えば、「いいトシをしてみっともない。少しはトシを考えなさい」などの年令に関係した制約の類い。これは「社会的」というキーワードで説明が付く。

「社会的に見てあなたはそれほど若くない。にも関わらず、子供のような振る舞いや態度はみっともない」スライドして→「トシを考えろ」──ここに落ち着く。

つまらん。トシなんぞ考えて何が面白いんや?
誕生日が来れば、毎年プラス1されるもんにどれだけ価値があるってゆーんや?
生きてりゃ誰でも実現可能。何の造作もない。

で、それに準じた制約って何よ? 酒も煙草もとうに解禁されたトシやで? 年令に縛られる制約ってまだ何かあるんかい。

それらの能書きが「社会的」というキーワードで丸め込まれる。

「大人なんだから」

閉塞感に拍車が掛かる。


そもそも「大人」という括りは、社会的な立ち位置を単に対外的に表現しただけであって、個々の当人の精神年令などは考慮されていない。平たく、大人になりたくないのに、結果、大人扱いされている者もいる。

それは法令上、満二十歳を迎えたら刑事責任、民事責任等、その他の社会的責務を全うせねばならない、ということを漫然と植え付けられただけだ。

何の努力もなく、生きてさえいれば誰でも到達する「大人」という価値観。



四十路を過ぎて第一子を設け、改めて躾や教育について考えるようになった。

そこで到達するひとつの解。それは躾然り、教育然り、これらの要素は教諭側の定義が最大の限界値であって、それを超える定義は全て想定外の価値なんだよなぁ、ということ。つまり、先生を超える生徒はいない、ということだ。

或いは、そう思いたい。願いたい。でなければ厄介だ。キャパシティを越えるものを遠ざけようとするそれは、祈りに近い観念かも知れない。

だが、現実はそうではない。何かが抜け落ちた教育者の教えを杓子定規に全うするのが馬鹿らしいと考える向きもいるからだ。

或いは、ハナから眼中にない。視覚の外から降り注ぐ刃は一向刺さらない、ということだ。

「それはお前がそう思うからそうであって、俺にはそうは思えないんだよ、悪いな」てなところだろう。

教育者にとっては受け入れ難く、制御に手を焼く不都合な価値観が生まれる。

言論の自由、思想の自由を謳いながらも思考にまで制約が掛かる始末。

何考えたって何思ったって、そいつの自由やん。何で縛られなアカンねん。

全て「社会的」という呪文が掛けられる。



この呪文は「物事を等価で判断する」という、思考の最も原始的な部分をも歪める。

例えば、某かの権威を持った偉い人が云うことは信憑性が高く、より信頼が置ける。この手のことを何の躊躇もなく信じ込ませてしまうのだ。だって、偉い人がゆーんだから間違いないでしょ、と。

つまり、何を云うか、ではなく、誰が云ったか、のほうがより重要視される訳だ。

やぁ、そんな訳ないやろ? 神様仏様ならいざ知らず、寸分の疑いもなく、何でもかんでも価値観預けて我が身心根、浸透するものかい? 自分のフィルターはないんかい。みんながそう思う確率が高いってだけで頷いてるだけやろ。

だが、そういった教育を受けて来なかった我々は何も引っ掛からない。そのこと自体が引っ掛けられていることにすら気付かない。疑念が湧かないという時点で、まんまと嵌められているのだ。

全て「社会的」という言葉で封殺される。



元同僚が、こんなことを云っていた。

「僕は面白い奴と飲みたいんですよね」

これは僕も同感だ。面白い奴との酒席は面白い。
ただ、この「面白い奴」という条件が多分一番難しい。

「面白い」という判断基準には「社会的」という呪いがないような気がするからだ。

社長だから面白いの? 金持ちだから面白いの?

やぁ、アホだから面白いんでしょう。
そして、可笑しなことだが、そのアホにも様々な縛りがあるのも事実だ。

外道、非道は言語道断。…ではあるのだが、社会的通念に支配されていない、突き抜けた価値観が面白いと感じる。
年甲斐もなく、などはその代表格と云えるだろう。

年甲斐もなく羽目を外して何だかやらかしてしまう。無法、違法とは懸け離れた領域。ちょうど、傾奇者のような資質と価値観のことを差している訳だが、風貌その他の様子が可笑しい者はそこかしこで見掛けても、精神的に傾いている者にはそうそうお目に掛かれない。

多分、相応に真面目なのだ。きっちり収まっており、枠からはみ出していない。故に、面白いという基準から外れる。また、面白いことに重きを置いている者も多くはない。

何がそうさせるか? 社会的規範が枠組みを狭いものへと追いやっているからだ。

「そんなことしたらアカン。社会的に認められない」
「それは常識的に考えて、そういうものだろう? そんなことも知らないのか?」

故に、つまらんもので溢れ返るのは必然なのだ。



漫然と抱き続けていたつまらなさの原因が、ようやく紐解けたような気がする。
それは「社会的」というキーワードに集約される。

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