私のイエス(2007/07/27 06:56:05)へのコメント


by vincent.(2007/07/27 07:41:26)

「預言者」と云う言い回し。これはノストラダムスのような「予言者」とは違う。「銀行預金」などと同義である「預ける」と云う意味だ。

平たく「神の言葉を預かった者」と云うことだ。

本来、そんなものは実存しない。神など居ないのだから何かを云ったり預けたりすることが出来る筈がない。

「預かった気になっている者」と云うのが「事実」であろう。

この世界観が「事実」「現実」と呼ばれている、我々が「生活」している3Dの世界観のことである。

対する「真実」とは?
この世界観は個々の魂に依ってその様相が様々に異なる。

所謂「空想の世界観」だからだ。事実世界を司る「根拠」や「動機」と云った「理由」、その基準となる「基準値」、それを以て判断すると云う「材料」など。

それら総てのものが悉くない。

「いやぁ〜神が降りてきた。辛くもピンチを脱したぜぃ」

これが、その「真実」の一側面だ。

事実、神は降りてきては居ない。ピンチを脱することができたのは当人がなにがしかの回避策を以て脱したからだ。

事実とはそう云った無味乾燥な世界観だ。

対する、真実の世界観はそれこそ縦横無尽である。そもそも三次元ベクトルの法則は通用しない。何の拘束もなく、何の束縛もなく、自由に飛び回っている。

この自由な世界観に、何らかの「拠り所」「基準値」を設けること。それが「宗教心」だと感じる。

故に、絶対的な教えなどこの世にないのだ。この辺りは仏教のほうが強いと思う。

まぁま、縋っても救われないねぇ〜(´∀`*)y-〜♪


by vincent.(2007/07/27 07:59:21)

僕が云いたいのは、

その個々が掲げる自由な「真実の世界観」を自身が抱く「真実の世界観」と照らし合わせ、取捨選択や四捨五入や廃藩置県を行わず、自以外の、その他の「真実の世界観」を受け入れよ、と。

それが僕の説く「愛」だ。

云うなれば、、

強烈な独断と偏見をお互いに喰い合う、呑み合う。

と云うことだ。

故に、矛先のない僕は稀釈して方々に愛を振りまく。

他人の笑顔は心地好い。。☆

ただ、逆賊には容赦せず鉄槌を下す。でないと「現実世界」で生きづらいからだ。

キリストやガンジーやナイチンゲール。彼ら「非力な人間の代表格」のような生き方は到底出来ない。

それが出来た彼らを僕は「尊敬」することは出来ない。が、僕は「畏敬」と云う言葉を遣う。

同時に、自身の魂に殉じる「魂の殉教者」としての共感を覚える。

スーパー・ナルシズムだ☆


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