by vincent.(2007/08/26 08:35:42)
こう云った類いのことを僕は「綺麗事」と云う。w
分かっていること、承知していること。
それらを隠蔽することに「美しさ」を感じないからだ。
「デリカシー」と云う言葉が浮かぶ。
僕の根幹はデリカシーの欠片もない。
なぜなら、それは「ガキ」だからだ。w
ガキは正直ではなく、デリカシーに欠けるのだ。
デリカシーのない輩が思ったり考えたりすることは、
非の打ちどころなく非常に「正論」だ。
ただ、人は自分にとって「好都合な正論」しか受付けない。
元来、自分勝手なのだ。w
「出す・出さない」
それを窘められたことを痛感する。
僕は、ギリギリまで引っぱり、、遂には出してしまう。
僕自身は、それを「爆裂」と呼ぶ。
爆裂したものには強烈なインパクトが伴う。
そして、賛否両論の格好の餌食となる。
このとき、「否」を受け入れられないのならば、
自分都合の「不都合」が受け入れられないのならば、
僕は「死ね」と云う強烈な激励をブチかます。w
そこで本当に命を絶ってしまうのならば、、
Be free... 自分の魂は自分自身で大いに切り刻み給え。w
僕の強烈な激励には、
自身が良い、かっこいい、美しい、と思う事柄に、
自身の掲げる「美徳観」に「殉じろ」──。
敵なんかひとりもいない。誰もが無敵だ。
虚像を捏造し、怯える自身に焔を放て!
と云う願いが込められている。w
人間は弱い。
だが、強くあろうとする姿勢が美しいのだ。
我が魂の命ずるままに──。
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