by vincent.(2007/09/21 07:44:10)
「受動的感謝」を理解すると「陳謝」の意義が理解できる。
要は「ごめんなさい」の気持ちのことだ。
その発生プロセスは、「感謝からの変化」とも云える。
要は「受動的感謝」の変化が「陳謝」である、と云うこと。
故に、「ごめんなさい」は割と簡単なのだ。
それは「やられっぱなし」で居れば済むからだ。
受け続けていられるだけの「耐性」なりがあれば、
サンドバッグ状態で相当なダメージを喰らっても、
そのままで居られるだろう。
ここに「図々しい」と云う概念が隣接する。
「いけしゃーしゃー」なんかも隣近所に居るだろう。
故に、僕は「ありがとう」を推奨する。
なけなしの魂でも削り出して他に向けて放つべきだ。
無くなったら、また紡げば良い──。
そもそも、何もないのだ。
僕は、そんな風に感じる。
(´∀`*)ねー
by vincent.(2007/09/21 09:10:53)
それを出し惜しみする者に、
僕が「生意気」を感じるのは、
僕の中では「当然の思考プロセス」なのだろう。
同時に「可愛げがない」と云う感情も生まれる。
僕は、生意気で可愛げない輩が嫌いだ。
僕は、「嫌われたくない」と云う「保身」からではなく、
生意気で可愛げないことをせぬよう心掛けているつもりだ。
それはどーかな?って感じ?
まぁま。。(´∀`*)
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