[エッセイ/随想]バーボンウィスキー考
(2008/04/17 16:11:11)


僕はバーボンウィスキーが好きだ。

メリケン嫌いの僕にとって数少ない米国産出物のひとつだ。

国内のウィスキー好きは大別すると、ふたつの派閥に分断される。

スコッチ派とバーボン派。

バーボン党から云わせるとスコッチは薬臭く、スコッチ党から云わせるとバーボンは薬臭く、と。丁度、コーラ好きのコカ・コーラとペプシ・コーラの関係とよく似ている。


例えば、スコッチウィスキーのバランタイン。熟成年月に依って味も価格も異なったりする。

中でも50年物は、その薬臭さがない。ただ、限定物であるが故、そうそうお目に掛かれない。

50年も寝かせたら、殆どのものが水に近くなるが、それを有り難がる我々人間は優雅である。


バーボンの甘さを「チョコっぽい」と感じる向きがある。その中には「チョコ・アレルギー」なども含まれていたりする。

チョコ・アレルギーの主な原因はカカオ豆だと推測される。

だとすると、バーボンにカカオ豆は入っていないので、その向きの「チョコっぽい」にはまるで化学的根拠がない。

製法の違いを挙げると、スコッチウィスキーは白木樽の中でそのまま熟成するのに対し、バーボンウィスキーは白木樽の内側を焼き焦がして熟成する。

その「焦げ」なりがカカオ豆を彷彿とさせるのかも知れない。

所謂「えぐみ」や「滋味」に関する繊細な味覚部分。その辺りの辛酸なりが子供の舌には些か刺激的なのだろう。

僕は、味も素っ気もないスコッチはやはり苦手だ。深みがまるでない。味に奥行きを感じない。


スコッチウィスキーよりはアイリッシュウィスキー。そちらには「魂の叫び」が内包されているように感じる。

英国に自国言語を封印されたアイルランド人らの魂の叫び。それらが内包されているような気がするのだ。

アルコールはその国の文化だ。

文化水準の低い我々日本は酒に対する文化に偏った偏見がある。

ま。偏っているから偏見なのだが…w

例えば「昼間から顔を赤くして…」などと酒飲みを揶揄する言葉があるが、ユーロ辺りでは昼食を「スリーマティーニタイム」などと称したりする。云わずもがな「3杯マティーニを飲む時間」と云う意味だ。

アルコールを飲む時間を特段「夜」と限定していない。飲みたいときに飲めば良いのだ、と。

これに代わるような語彙が日本では見受けられない。アルコールに対して真摯な態度がない、と云えるだろう。

故に「キチガイ水」などと侮蔑を込めた言い回しが生まれる。日本は、恐ろしく文化水準の低い「文化国家かぶれ」だ。


僕自身、何処の国籍でも構わないが、生まれる国家は選択できない。この辺りが差別のなくならない要因のひとつだと感じている。

故に、人は皆、生まれた瞬間刹那からMである、と括る。


また、こう云った流れを「批判」と捉える向きは本当に知能が低いと感じる。或いは、理解力に欠ける。

僕は「事実」を述べているだけだ。それに対して眉を顰めたり、不快感を感じるのはその人にとって「不都合」だからだ。或いは、思考が回転しない。

要は「アホ」と云うことだ。

僕は他人に迷惑を掛けて生き恥を晒す、ひとり愚連隊である。故に、なけなしでも還元しようと某かを試みるのだろう。

健気だ。


…などと、お為可笑しく尤もらしい講釈を垂れながら杯を重ねる。それでも隣りに居る女の子が不快感を露わにしないのは、僕が良い酒飲みだからだろう。←

タチの悪い者はアルコールを口にしようがしまいがタチが悪い。アルコールに責任転嫁する辺りが、やはり無責任だ。

 アルコールの所為じゃない。
 君が酔わせたんだ──。

そんな責任転嫁を嘯くと、彼女の口許に微笑が浮かぶ。戦闘を終えた戦士には束の間の休息を味わう特権がある。

ご馳走様…☆

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