寛量──。
ふと浮かんだ言葉。早速、サーチを掛けるも、やはりそんな言葉はない。
これは「ワード/四字造語」のネタになる、と。この言葉が浮かんだプロセスを羅列していきたい。
海容
某SNSで見掛けた言葉。
ニュアンスは語呂から即座に伝わった。
海のような心で相手を赦すこと。
ズバリ的中──。
ただ、そんな人が本当に居るのだとしたら、是非、お目に掛かりたいものだ(´∀`*)
寛容
上記からスライド。
寛大
同じく。上記からスライド。
寛ぐ(くつろ-ぐ)
上記2ワードで重複している1字。
上記2ワードの「比較」に役立つ。
自然にピックアップされ、定義解釈の思考が始まる。
寛容=寛ぐ容(うつわ)
寛大=寛ぐ大きさ
可能動詞「くつろげる」とすれば、上記2ワードは難なく紐解ける。
寛容=寛げる容(うつわ)
寛大=寛げる大きさ
それらを「対外的に」表現している様子、と。飽くまでも「他人の評価」の言葉であることが理解できる。
これらを俯瞰していて「許容」「許容範囲」「キャパシティ」などの言葉が旋回した。
先述の某SNSの筆者、「海容」を記す際、「度量」と云うタイトルで示唆されていた。
──「度量」と云う言葉もなかなかに深い。
一般的には「動かざること山の如し」「物事に動じない」ことなどがニュアンスとして伝わっている。
ただ、この言葉の裏を返せば、「物差し」的なニュアンスも顔を覗かせる。要するに「度」を「量る」「物差し」と云うことだ。「斤量」などと云えば、理解に容易いか。
いずれにしても「重さ・軽さ」「大きさ・小ささ」などの「比較」が既に定まっている。
比較。
陰と陽に、はっきりと分岐する言葉だ。
「よく比較検討して最善の判断を」「他人を羨んだり、自分と比較してはいけない」等々。
僕は何度も同じことを綴っているが、
物事の本質、概念、観念、その他諸々の「現象」──つまり「森羅万象」と云うことだが、森羅万象とは「大いなる矛盾」で構成されている。片方の「極」だけでは成立しないのだ。
と考えている。
「絶対」と云う特例があるようにも考えられがちだが、これは「絶対など絶対にない」と云う矛盾──「陰」に裏打ちされた「陽」だと云える。
「絶対」と云えども「対」を要する。つまり、何処まで行っても「比較」なのだ、と。
*国語的対義語「相対」は廃した観点であることを注記したい。
そこでタイトルの言葉が浮かんだ訳だ。
寛量──。
字面を額面通りに受け取れば「寛ぐ量」と云うことだ。先述に準えて可能動詞とすれば「寛げる量」。
いずれにしても自分と他人。一元物と二元物とで「共有」できる「概念」だ。
何を以て「寛ぐ」とするかの定義が明瞭ではないが、いずれにしても「量」なりが定まっているような気もする。
「量」を物質的質量として捉えても、測量的な方法手段として捉えても、いずれにしても「定まって」いる、と考えられる。
定量→有限。こんなスライド。
有限。
企業の規模で云えば、小ささを感じさせるが、我々は生まれた瞬間刹那から「ちっぽけ」な存在だ。
宇宙の法則からすれば、果敢ない営みを齷齪とこなし、日常に埋没し、微々たる比較演算を繰り広げ──そんなことをしながら生を垂れ流して消費してゆく。
何とも救いようのない形骸化した哀れなオブジェクトだ。
ただ、そんな渦中においても、やはり「生きた証」を刻みたい。人間は生まれながらにして「強欲」であり、とてもカルマが深い生き物なのだ。
永遠の命と思って夢を持ち、
今日限りの命と思って生きるんだ。
ジェームス・ディーン
彼の言葉は「至高の刹那主義」だ。
「寛量」と云う「比較」は、それを実践するための幾ばくかの助力になるのでは、と感じまでだ。
好む者の思考の片隅に──。
そうすることで僕の話は初めて「完了」する。
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