[エッセイ/随想]言葉のサラダ
(2009/08/23 03:15:19)


思考とは、非論理的断片を論理的固形物へと編纂(へんさん)する脳内作業である。

その固形物を以て、他人の評価のご機嫌伺いをする。

コミュニケーションとは、浮遊球体の成れの果てを自慢し合う品評会である。


統合失調症の特徴のひとつに「連合弛緩」と呼ばれるものがある。

簡単に云うと「会話の繋がりや意味が緩む」と云うことである。

例えば、

 恋が終わった。
 もう、人生おしまいだ…

このような思考。

統合失調症と無縁と思われる人でも通常だと思えるだろうが、冷静に考えてみれば、論理的な繋がりはひとつもない。

つまりは「連合弛緩」である、と云える訳だ。


「言葉のサラダ」と云う医学用語があるそうだ。

つまり、言葉が特定の意味を成さず、サラダのようにごちゃ混ぜである。故に、理論的根拠がなくても当人は気付かない、と。

脳内会議を趣とする僕などは言い得て妙だ、と頷かざるを得ない。


冒頭、「浮遊球体」などと云う比喩で表現した。

僕は、凡そ思考と呼ばれるものの大半は、さしたる意味もなくフワフワと浮遊しているのが常である、と考えている。

でなければ、それぞれの「意味」の重圧に耐えられなくなり、簡単に(こわ)れてしまう──つまりは精神破綻してしまうと感じるからだ。

「何も考えてない」「よく考えてない」などと他人を揶揄するのを耳にしたりするが、何てことはない。それは「お互い様」なのだ、と。

本当に熟考している人は、とうの昔に精神異常を来してしまう。純粋であればあるほど、その進行を防げないだろう。決して涼しい顔はしていられないのだ。

そのような人が余り活動していない所から察すると…

健常者と呼ばれる人間は「実は余り意味をよく理解していない」と云うこととなる──。


「え〜本当にそうなのかなぁ?」などと… 綴っている傍から思考が断絶する。


僕は僕ですら信用しない。
故に、職務質問を常に自身に執り行うのだ。

口籠ってしどろもどろな自身をサディスティックに(わら)うのだ。

「君。意味分かってんのかい?」

そんな自身になけなしの反抗を試みる。

「面白い。では君は理解しているのかね?」


このような質疑応答を投げ掛け、夏の夜を優雅に過ごす。
やぁ、酒持って来い(´∀`*)y-〜♪

そんな感じで♪

Tags: 人生, 他人, 思考, 恋, 意味, 理解, 破綻, 精神, 言い得て妙, 評価, 酒, 面白い


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