[エッセイ/随想]高きから低きへ
(2009/09/20 15:51:34)


水は高きから低きへ──。

純粋な自然現象のひとつ。
これを自問自答の命題として捉えてみる。

高低差が低ければ「河」。
高低差が高ければ「滝」。

それぞれがイメージされ、自身の内面世界と符合する。


「河」からは「温厚」。
「滝」からは「激情」。

それらに相応する「性格・感情要素」などが読み取れ、更に「恋愛傾向」や「対人関係の在り方」などが浮かぶ。

「河」からは、でき得る限りの「対等」を望む心と、人間的な「格差」を排除しようとする傾向が。「滝」からは、その真逆。対等を嫌い、根拠もなく格差を付けたがる傾向が。

自身の半生を省みたとき、そのとき、何故そうだったのか、と云う「結果」に対する「原因・根拠・動機」──その「内面の動静」が紐解ける。


「河の傾向」と「滝の傾向」──場面に応じてそれぞれが顔を覗かせる。
シチュエーションに応じてスイッチされる。「臨機応変」と云うことだ。
意識的に切り替えるか、無意識で切り替わるか──。

それぞれが胸に抱いている「機微」が「契機」を決定付け、それぞれの「言動」に働き掛け、現象なりが「顕示化」する。

要するに「作用と反作用」と云うことだ。

脳内電気信号は理論値度外視で正確に作動する。故に、計測不能──理解不要なのだ。


所謂「深層心理」と呼ばれるものは、適度に掘り下げれば、表層の一角からすべてが露呈する。特別に「深い」ことは何もない。

的確に踏み込めば悉く「丸見え」だ。そして「見える」ことは何も特別なことではない。
冷静になれば何事も静かに滲み渡る。

「冷静さの度合い」は「濃度の違い」で分岐する。薄ければ表層を滑り、濃ければ毛穴から浸透する。


閑話休題。

派生。「水」のイメージ。

例えば、器があれば頑張って収まりたがり、なければ所構わずダダ洩れる。
固まれば氷のように冷たく閉ざし、熱すれば湯のように熱く、周囲を溶かす。
やがて、蒸気となって気化すると、何事もなかったかのように天に昇る──。

「水のような人」とは、特別な印象ではなく人間の「本来」なのだ。

成る程、人間の躰は70%以上が水でできていると云われる。故に「高きから低きへ」と云う自然現象と符合するのは、殊更に不思議なことでも何でもないのだ。
どうりで落雷を受けると通電率が良い訳だ。痺れっぱなしの自身にエールを──。


派生からの巻き戻し。

「河」からは「おしどり夫婦」。
「滝」からは「SM関係」。

それらがイメージされる。
つまり「関係の格差」──「立場上の差」が読めるのだ。

僕は(恋愛に限らず)フラットを望むが、多分、フラットだと何も「動かない」。「平坦」…つまり「平等」では何も生まれないのだ。「差」があるからこそ(あると感じているからこそ)、好都合・不都合を棚上げして、物事は「激動」する。
そんな風に感じている。


天動説・地動説が物議を醸していた頃、世界の果ては大きな滝である、と考えられていた。現在のように「地球は球体である」と云う事実が浸透していなかったためではあるが…


ゆったりとした穏やかな河の流れが大海原に注がれ、世界に恵みを還元しながら悠然と漂う。やがて、機が訪れ、世界の果てに呑まれてゆく。何もない、真空状態の宇宙に降り注がれる──。漆黒の暗闇には上も下もない。

 では、一体、何処へゆくのだ? そもそも重力もないのに──。


水は高きから低きへ──。

何ともスピリチュアルだと感じる。

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