人は、それぞれのテーゼに基づき、己の掲げる「理想」へ至ろうと欲する。
「理想」の定義はさておき… 理想とはどんな綺麗事を並べようが、極論、私利私欲。
自己中心的でない人間などこの世に存在しない。本来、自分さえ良ければ他人はどうでも良いのだ。
それぞれが自己中心的である人間の群れ。それらが雑多に入り混じっている人間社会。
「玉石混淆」とは人間社会のことを差す言葉だ。
お互いのテーゼをぶつけ合うだけでは、当然、軋轢が生じる。「価値観の相違」など、デフォルトなのだ。「一致」或いは「近似値を得る」ことのほうが「奇蹟」と云える。
個々が自身のみで到達できる理想ならば、他人と関わる必要はない。人間関係に苦しみ、ない知恵を絞って、あれこれ悩む必要はないのだ。
それこそ、「独善独歩」「唯我独尊」「傍若無人」──それで一向構わないと考える。
ただ、人はそれほど強くない。
何でもひとりで解決できることが「強い」と云う訳ではないが、自分を知る為に…身の程を知る為に…必ず他人を利用する。
「自」と「他」と云う「境界線」を以て「自のアイデンティティ」を確立する。
それは「お互い様」だ。
或いは、相対的に捉えれば、本来、「自」と云う存在は何処にもない。すべてが「他」だ。
「自分だと思っている自分が居る」
つまるところ、自分のことですら「客観視している」と云うことだ。
嗚呼、自身を純粋に主観視できたたら、どんなにも素晴らしいことだろうか…
前段と矛盾するので、さておき…
お互いを利用するにあたっては、ギブ&テイク的な発想が用いられる。要するに「持ちつ持たれつ」と云う懐柔策を採る。
合理的であり、よりスマートだ。
そこで「敬」や「信」と云う言葉が浮かぶ。
「尊敬」「敬意」など──人間の持つ「敬う」と云う「憧憬心理」
「信用」「信頼」など──人間の持つ「信じる」と云う「依存心理」
──それらをうまく利用するのだ。
自身の理想に他人の存在が必要な場合、この「敬」「信」と云う感覚は必須であると考えられる。
余談だが…
僕が「尊敬」や「信用」などの言葉を遣いたがらない理由もここにあったりする。
何故なら──
本来、「尊敬」や「信用」をお互いに通じ合わせているのならば、
それをいちいち「確認」せねばならないと云うことは、相手がこちらを尊敬も信用もしていないからだ。
──と、考えているからだ。
閑話休題。
一般的な「敬」「信」を心理学にて紐解いてみたい。
人間が他人を尊敬する、もしくは従う(信じる)場合、心理学的には次のいずれかの「勢力関係」がある、とされている。
このうち、1〜3は、所謂、職場などの「上下関係」でよく見られる。
「上下」とは云え、業務上や役職上、つまりは「形骸化した関係」と考えているが、さておき…
4は、ひと昔前の「親子関係」で見られたものだ。今や「父親の威厳の失墜」で見る影もないが…
例えば、この正当勢力が侭なっているのならば、昨今の少年犯罪等の発生は極々僅少である筈だ。現状は云わずもがな、である。
5に「敬」「信」のヒントが隠されている。
自分を理想に近づけ、模倣し、自分を同一化させようと云う願望を心理学的には「同一視」と呼ぶ。
この同一視の相手こそが「尊敬すべき像」と云うことなのだ。
「尊敬」から「信頼」を勝ち得る。
「信頼」から「尊敬」を勝ち得る。
どちらが入口でも構わないのだ。
その人に準拠勢力を放つだけのオーラがあれば、黙っていても人はついてくる。
「憧憬心理」をうまく煽っているからだ。所謂「カリスマ性」と呼ばれるものだ。
「憧憬心理」がコントロールできれば、「依存心理」もうまく引き出せる。
つまり、「あなたなしでは生きてゆけない」と云うこと。
──この辺りが「一般的」な思考回路だろう。
ここまで高められれば、相応の理想は手に入れられると考えられる。
まぁま、十分に険しい道ではあるが…
僕はカリスマ性のない報酬勢力や強制勢力に興味はない。専門勢力を以て準拠勢力を確保し、正当勢力に押し上げる。
「いっぱしの長」と呼ばれる為には、それらが「暗黙」で求められている。
──そんな風に思えてならない。
必然的超重圧負荷だ。
精々ご自愛下さいませ──。
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