[エッセイ/随想]人間
(2023/12/04 17:14:39)


人間とは、抽象を象った具現物である。

例えば、「頑張れ」という言葉を聞いたら、何について頑張るのかはさておき、「はい、頑張ります!」と返答する。

頑張る、にポジティブ要素がふんだんに含まれているだろうことは想像に難くなく、否定されるケースというのは高確率でないと云える。

だが、頑張る、に具体性は欠片もない。
更に、そうすることによって得られるであろう何得なのか誰得なのかも一切明かされていない。

にも関わらず、先の返答がなされるのは何故か?


人間とは、抽象を象った具現物である。

一事が万事。具体性のないことも含めて意図を汲もうと努力する。アレコレと想像を膨らませ、実在・非実在を問わず、そうであろうと高を括る。

要するに「知ったかぶり」ということだ。

つまり、抽象とは実態のないものをポンと投げ掛けて、後は観察者にその行く末を丸投げする、ということなのだ。


例えば、人間というのは問題を出されると、正解・不正解の分岐に掛けられることが分かっているので、何としてでも正解チームに入りたがろうと躍起になる。

その問題が解けたところで、特別に何かが変化する訳でもなく、これと言ったメリットが見出せなかったとしても、だ。

そこに人間の業を見る。

人間は他人よりも何か抜きん出ていたい、出し抜きたい、という優越感を捨て去れない生き物なのだ。

だが、抜きん出るということは、それについて多くやらされる、ということだ。好きだろうが嫌いだろうが、押し付けられるケースに多々遭遇するだろう。

そして、あろうことか「あの人に任せておけば大丈夫だから」との、ありがた迷惑なレッテルまで丁寧に貼り付けられてしまう。

そのレッテルは粘着性の高い強力な接着剤で固定されているので、おいそれと簡単には引き剥がせない。遂には観念して望まぬものをも含めて、すべてを自分事として処理せざるを得なくなるのだ。God, save me...


人間とは、抽象を象った具現物である。

自身の主義・主張というものは他人にとっては取るに足らない戯れ言に過ぎないのだ。
大抵がひと目見た瞬間に、その人物のキャラ設定を各個人の中で確立させ、その設定の範疇で言動するであろうことを「その人」として定着させている。

何とも自分勝手な思想だが、僕は自分勝手でない人間に遭遇したことはない。
皆さん、誰彼の許可もなく自由気ままに生きておられる。無論、自身も含まれているが。

つまり、「のび太のクセに生意気だ」というジャイアンの乱暴な思想の中には、この人間の業が隠されているのだ。何故なら、ジャイアンの中でのび太は生意気であってはならない、というキャラ設定が既に設定されているからだ。


冒頭の「頑張れ」という言葉。
これを他人から投げ掛けられたとき、もちろん、額面通りストレートに受けるのも構わないだろうが、一旦ブレスして少考するのも悪くないだろう。

相手がどのようなキャラ設定を自分に設定しているのか──。
それを踏まえると「頑張れ」という言葉の意味が変わる。

激励なのか上からなのか、はてさて…

人間とは、抽象を象った具現物である。

「vincent. のクセに生意気だ!」

そらどーもw
あーたも好きねぇ頑張ります☆

そんな感じで♪

*2020.05.14・草稿

Tags: ポジティブ, 否定, 草稿


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