[寓話/お伽噺]除思考
(2009/06/08 20:28:23)


「どうしたんじゃ? 浮かない顔をして」
「は? ええ。まぁ、その…」

「さては、またこっぴどくフラれたかな?」
「や、だといいんですがね…」

「これはこれは。根っ子から悉く浮いていない…」
「教授。とんでもないドSですね…」

「うはは。相手が君じゃちっとも物足りないがね」
「実際、痺れますよ。やれやれだ…」


「それはそうと、どうしたんじゃね。そんな君の顔は余り見ない」
「普段はどんな?」

「さぁ。どんなだったか…」
「教授…」

「や、特別、君を無視している訳ではない。ただ、私は私の研究に没頭しておるが故に…」
「もう、いいですよ…」

「何か後ろ暗いことでもあるのかね?」
「そんな人聞きの悪い。何もありませんよ…」

「では話してみ給え。そんな顔をされてはこちらも堪ったものではない」
「意外と優しいところもあるんですね?」

「君の場合、意外のほうが多いと思うがね」
「ええ。それは心得ているつもりですよ、これでも…」

「ほれ。話してスッキリすることもあるもんじゃ。黙っていては糸口が掴めない」
「ええ。まぁ…」

「研究とは僅かな糸口から練り上げる壮大なロマンなのだよ」
「ははは… 教授は幸せな方だ…」

「何と!?」
「いえ。ポジティブ… プラス思考な方だな、と」

「ウム。プラス思考だけではうまくない」
「何故です?」

「安易な楽観では何も問題は解決せんのじゃよ」
「かも知れませんね…」

「『かも』ではない。そうなのだ」
「──?」

「物事には『対』があるのだ。プラスであれば、必然、マイナスが」
「確かに…」

「『対比』じゃよ。対比して『俯瞰』する」
「ええ…」

「そうすれば『全体像』が見えてくる。物事の本質が浮かび上がるのだ」
「やはり、教授は聡明な方だ…」

「おだてても何も出ないぞ?」
「いえ。心からそう思いますよ、お世辞抜きです」

「そうか。ならば宜しい」
「はい」

「では、その浮かない顔の原因とやらを聞かせ給え」
「…」

「原因でなくとも、原因と思しきことでも何でも構わん。さぁ──」
「…見えてらっしゃるなぁ。流石にかなわないや…」

「早合点はよくない。私には何のことやらさっぱりじゃ」
「いえ。教授と話していて輪郭が掴めてきたような…」

「そうか。では、そのプロセスを聞かせ給え」
「はい。そう云うことなら──」

「ウム」
「抽象的に話しますね?」

「ウム。何でも宜しい」
「では──」

助手はひと呼吸置いてからゆっくりと喋り出した。

「例えば、Aと云うゴールがあるとします」
「ウム。Aを『目標』や『到達地点』と捉えれば良いのだな?」

「はい。そうです」
「続け給え」

「Aに到達するためにはBと云う方法手段が必要である」
「それで?」

「そのBと云う方法手段は1通りだけではなく複数ある、と」
「ウム、当然だな。そんなに汎用性の高い方法手段は存在しない」

「はい。そうですよね? 故に、あれやこれやと試行錯誤する」
「我々も日々研究を続けておるではないか。それと同じことじゃ」

「はい。ところが、万策尽きたとき、尽きたと思われたとき──」
「ウム」

「Aが遥か彼方の位置に居たとしたら?」
「ウム。未到達、或いは未成就。いずれにしても問題は解決していない」

「ですよね? そう云うことになりますよね?」
「ウム。それが君の浮かない顔の原因かね?」

「抽象的で申し訳ありませんが…」
「そんなことはどうでも宜しい」

「私は私なりに…」
「ウム。胸中は察するに余りある」

「お分かり頂けますか、私の気持ちが…」
「努力が必ず報われるのならば我々の存在価値はない」

「私はどうすれば…」
「ウム。実に簡単なことじゃ」

「──!?」
「聞きたいかね?」

「是非…」
「ウム」

教授は顎髭を撫でながら、ゆっくりと助手に歩み寄った。

「──君は万策尽きた、と云った」
「はい。考えられることはすべて行ったつもりです…」

「なのに得られない」
「はい…」

「釈然としない」
「はい…」

教授は助手を通り過ぎ、窓から通りを眺めた。

「ゼロで割っていないかね?」
「!? 何ですって!?」

「ああ。君は『ゼロ』と云う方法手段Bを以てしてAに到達しようとしていないかね?」
「教授。仰っていることがよく…」

「割り切れなくて当然だ、と云いたいだけじゃ」
「割り切れない──!?」

「ああ。君の心情はそうではないのかね?」
「ええ。確かに割り切れません…」

「そうじゃろ? ゼロで割り切れる筈がないんじゃよ」

依然、助手の表情は訝しげだ。しばらくして、徐々に眉間の皺が緩んで来た。

「や、何となく分かってきました…」
「何がじゃね?」

「教授の仰っていることが…」
「ほう。そうかね」

「数式に準えておられるのですね? 加減乗除。四則計算だ」
「ほっほっほっ。なかなかに聡明じゃな。平たく、算数じゃがね」

「ゼロでは割り切れない。つまり、方法手段Bにゼロを使っても割り算にならない」
「そう云うこと。割り切れなくて当然」

助手の表情が一気に綻んだ。

「教授! ありがとうございます。何だか覇気が漲ってきました!」
「どうやら万策尽きたのは早合点だったようじゃな」

「ええ。まだまだ… と云うより、私は何もしていなかったのと同じことでした」
「そうかそうか」

教授は眼を細めて助手を見遣った。

「教授!」
「何だね?」

「プラス思考だけじゃ駄目ですね」
「ふふ。そうじゃろ?」

「はい。マイナス思考だけでもいけないし」
「加減乗除など小学生時分、学んだろうに」

助手が苦笑いを浮かべる。

「ところで教授──」
「忙しい奴だな… 何だね?」

「こう云った思考は何と呼べば?」

教授がにやりと笑った。

「『除思考』じゃよ」
「じょしこう──!?」

「ウム」
「何とも響きが…」

「JKとは違うぞ?」
「教授。そんなスラングまで…」

教授は愉快そうに肩を揺すった。

「ただ、何とも皮肉なものです…」
「何がじゃね?」

助手が再び意気消沈して口籠った。

「実は、私が抱えているAと云うのは女子高生に関係しておりまして…」

教授が眼を瞠った。

「押しても引いても、どうにも…」

教授は呆れたように首を横に振った。

「君はウチへ帰って計算ドリルでもやり給え」
「教授ぅ…」

「私は君など知らんよ」
「そんなことを仰らずに…」

一連の話を聞いていた女性助教授が口許を綻ばせた。

「おさかんねぃ〜」

こうして研究室での一日が過ぎてゆく。

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