考課──無学な故、初めて聞いた言葉だった。早速、辞書を引いてみる。
律令制──なかなかに唸る言葉だ。
あらゆる組織において制定されている「ルール」と云うものは、その組織をより良く運営するため、組織の健全化のために定められている。
その根幹となるものは「こう在るべき」と云う指針に基づいているのである。つまり「行動指針」である。
そして、その行動指針と呼ばれるものは、大別すると2種類に分けられる。
抽象論か具象論か──
「組織」と云うものをどう捉えるかで、行動指針のベクトルが分岐する。
「組織」と云うものは具象物である我々人間が象る群像である。そこにはその群像を司る「長」が存在し、組織の規模が大きくなれば、それぞれの役割単位で小分けされ、そこにも「長」を据える。
僕がバーテンダーをやっていた時代、或る先輩からこう教わったことがある。
「ひとりのバーテンダーが見られる客の数は12人くらい。2、2のカップル席で云えば6組。だから、カウンター席は12席くらいが丁度いいんだ」
バーカウンターの中は通常ふたりのバーテンダーで回す。センターとサイドと分かれるのだ。
センターがシェイカーなどを振り、カクテルを作る。サイドは材料を揃えたり、グラスを洗ったりと、アシスタントに回る訳だ。混雑時には3人で回したりもする。
センターはセンターで不動のポジションなのだが、サイドがふたりになることで相性によっては不和が生まれたりする。
体育会系で云うところの「先輩・後輩」の図式が顔を覗かせたりするのだ。その図式の根底に「年令」や「センターの優遇(贔屓、お気に入り等)」などが表れたりすると、途端に調和が乱れる、と云うことだろう。
それでは営業に支障を来す、と云うことで「ルール」が作られる。後から来た奴は一番下な。だから、俺らをサポートしてくれよ、と。
サイドを勤め上げた暁には、センターと云う「花形」が用意されているのだ。サイドで終わることを余儀なくされていたのではモチベーションは上がらない。
たった3人の「組織」でもルールが必要になってくるのだ。
特に我々人間は「主観」と云う「自己中心」の「行動指針」に基づいて生きている。──これは我々人間を社会的動物として捉えた観点からの思考ではない。
忘れてしまいがちだが、我々も野生動物のそれと同様に、原生的動物としてこの世に存在している。
野生動物の生態を見ると、僕の云うことが分かるだろう。彼らは、さしたる意味もなく生存している。...否定的な観点ではなく...自然の摂理の営みの中で粛々と生を営んでいる、と云うことだ。
閑話休題。
例えば、我々人間ひとりひとり、各々銘々が無秩序に複数の主観をぶつけ、自己中心的行動指針のぶつけ合いをしていたのでは、組織が円滑、且つ健全に運営されるはずもなかろう。
そう云った流れの中で組織の秩序──「是」が設けられるのだ。双方の言い分の「当たり前」「当然」と云う是について、双方がコンセンサスを取る際の共通項として設ける。
「是非を問う」とは、こう云うことだ。基準値を定め、そこからどの程度、逸脱するのかを問うのだ。
会社で云えば「社是」に相当する。
社是とは、極論、その組織の長の主観だ。例えば、ここで掲げられる「在るべき姿」と云うものも、その長の主観による「枷」なのだ。
だが、本来、在るべき姿とは、自身が自身に課す枷であり、他からのお仕着せや干渉には一切無関係なのだ。
では何故、組織に枷が必要なのか? それは、自身の枷が定まらない者が存在するからだ。
他の敷いた枷に縋る。従う。追従する。要するに「他力本願」と云うことだ。
他力本願であるにも関わらず、自身の是との折り合いがつかず、「合わないから」と云う理由でその組織から抜ける。
そう云った者を目の当たりにしたとき、僕は止めもしなければ応援もしない。人間とは、自身の是に付き従い、生を全うすれば良いのだ。僕の老婆心やら思いやりなどは、その個においてはまるで意味を成さないからだ。
抽象論か具象論か、と云う論旨から外れたので話を戻す。
行動指針を定めるとき、具象論で固めると不都合なことが多い。それは解釈の分岐が難しいからだ。具象論とは「これはこう」「あれはああ」と、杓子定規で逃げ場がない。
絶対的──ポジション・アブソリュート、な訳だ。
逃げ場のないルールと云うのは人を消沈させるのに十分だ。それは自身の工夫なりが意味を成さないからだ。要するに、モチベーションが上がらない。
監獄でのルールを想い浮かべれば理解に容易い。──皆一様に、殆ど意気消沈だ。
大脱走! などと、勇猛果敢なドン・キホーテ的ロマンティシズムも顔を覗かせるが、さておき...
...そこに抽象論を据えると、途端に華やいで感じられるから不思議だ。それは個々の是のフィルターに掛かり、如何様にも解釈可能だからだ。
ただ、一番危険なのは、輪郭が曖昧な故、衝突を避けられない、と云うことだろう。所謂、誤解・曲解が生じる。その可能性を否めない、と云うことだ。
その衝突を避けるために敷設されるルールであるべきなのだが...
矛盾がデフォルト。
その真理に至る近道は、案外、日常に転がっていたりするものだ。
考課と云う言葉から、うっかり様々な脳内球体バブルスが飛び交ったが、現状では輪郭が鮮明なものは浮かんで来ない。
その理由は一点。
やはり、他の敷いた是に完全には付き従えない、と云う自身の強情な性分が最後の砦を死守している。
絶対服従を拒む銀狼──そんな姿が浮かぶからだろう。
そして、それを更に俯瞰している自身を見るからだ。はっちゃけてるねぃ〜、と。
それが「自己愛」と呼ばれるものだ。
僕は、余程、独りSMが好きなのだろう。苦笑
思考を深めれば深めるほど、ああ、答えのない問題って楽しいなぁ〜、と感じてしまう自身を否めない。
そして、その出題者は自身に他ならないのだ。どんだけ〜(´∀`*)ノ
vincent.独りSM。
紙面の都合によりこれにて!
我が魂の命ずるままに──。
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