2002年のカンヌ映画祭においてパルムドールに輝いたロマン・ポランスキー監督作品。
ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)の自伝を映画化した。
ナチスのワルシャワ侵攻を目の当たりにし、死の収容所送りを奇跡的に逃れたシュピルマンは、ゲットーの廃墟に身を隠すことで第二次世界大戦を生き延びた。
人種差別、人種迫害の極みとも云えるナチスとユダヤの関係。その渦中に理不尽に置かれ、不条理に虐げられつつも武器を取ることなく、シュピルマンはピアニストとしての自身のストイシズムを頑に貫いた。
同胞が無下に殺される中、身を隠し、泥水をすすってでも生き延びることを選択した彼に、僕は自身を重ね、痛く共感した。
世界情勢がいかなる情勢であっても死んだら終わりなのだ。
「世界中を敵に回しても──」
人間性の最も暗部を目の当たりにしたとしても純真純潔を貫くべきだ。
生き残る、と云うことは恥ではない。這ってでも未練を繋げ。
残虐なシーンですら淡々と描かれるため、一見、激しさは感じられないかも知れないが、彼の内面を逆巻く激情はラストのピアノ演奏シーンで烈火の如く昇華する。
鍵盤を舞う指先は、全身を駆使して表現するどんなダンスをも凌駕していた。
「シンドラーのリスト」などの戦争映画にも通ずることだが、作為的な悲劇と云うものは作為的であるが故に、その悲劇の根本が実に陳腐だ。
戦争とは、人間性の最も愚かな部分を作為的に浮き彫りにしているだけに過ぎないからだ。
例えば、それらを見聞し、感動したり、感涙できたりするのは、やはり、愚かだからだと感じる。
他人の愚かさを罵る前に、まずは自身の根底的な愚かさを呪え。と、そんなことを再認識させられた作品でもあった。
派生的に、世界史を再び学ばねば、と感じた。学校で教わったはずなのに、日常に埋没していて年号すら侭ならず…
1本に繋がっているはずの歴史、ヒストリーがそれこそ複雑に入り組み、正確なラインすら描けない始末。こんな稚拙な記憶繊維だからこそ、性懲りもなく同じ轍を踏むのだ、と感じた。
黒人の人種差別についても考えさせられた。彼らの奴隷時代は恐ろしく長い。だが、大量虐殺と云う理不尽な目には遭っていない。
ユダヤ人と黒人。その背景。──比較論では括れないが、様々な考えが脳裏を渦巻く。
廃墟のシーンと現在の東北地方太平洋沖地震のシーンが重なった。同時に、人間の手による破壊行為と、自然が繰り出す破壊力の違いに呆然とした。
理不尽さ、不条理さでは同等だが、被害者と加害者の関係がまるで違う。被災地の方々は、加害者を訴えることも非難することもできないのだ。
東北地方太平洋沖地震の傷跡──。
どんな戦争被害よりも凄惨だと感じる。
そして、それは現在進行形。
国土の1/3以上のダメージは、やはり、国民総出で修復せねばならないだろう。「最優先」と云う言葉が脳裏をよぎる。
映画から話が逸れたのでこの辺で。
第二次世界大戦
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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