すべては「対」で成り立つと云う。
陰と陽、正と負 、善と悪、真と偽──。
両極がある故に、そのいずれかの選択が迫られる。
ここに「潔」を据えてみる。
いずれかの選択を迫られたとき、どちらか一方を拾い、どちらか一方を捨てる。拾い方・捨て方の方法手段は論ずるに値せず。いずれにしても、どちらか一方に寄る。
そのとき、捨てた極に「未練」や「執着」或いは「疑」を掛けないことが「潔」であると感じる。
また、拾った極に「未練」や「執着」或いは「疑」を掛けないことも、また「潔」であると感じる。
「逆もまた真なり」
極論ベースで捉えると、違って見える・感じることも往々にして近似値であることが推察される。
その評価・吟味を「他人任せ」「他力本願」或いは「流行」「曲げる」「折れる」──「妥協」してしまうが故に、自身の不甲斐なさや無力さ、喪失感や存在意義の希薄さを呪う。
また、それらを「多数決の理」に準え、一方に寄せることで「安心」を得たりする。同時に、そこから阻害される「不安」も抱く。
万人が抱く「矛盾」──同時に「儘成らず」の証明。
両極とは常に反比例で存在するもの。概念ひとつ取っても一方だけでは成し得ない。
両極をひとりで背負うには「矛盾」が邪魔をしてしまう。聡明であればあるほど、その「矛盾」に至るプロセスが短い。
「合理的・効率的」とは似て非なる「無駄を省く・嫌う思考回路」──。
また、その一方で、それほど器用に立ち振る舞う術を知らないからこそ「生きる」と云う不完全さを、根幹的な疑念なくして死ぬまで継続していられる、とも云えるだろう。
「無知こそ至上の幸福」の証明。
上述を踏まえ「両極を呑む」とは、
ふたつでひとつ
を難解な思考を介せず、解釈・実践できること。
その理論に基づいた「当然」…「自分の常識=自分の流儀」…を世の潮流に迎合させることなく…平たく、他を意識することなく「世の中の常識=世間体」を排除し…そもそも、そこから隔絶した独自の領域で展開すること・できること。一般論的に括れば「浮世離れした」と云う表現になるだろうか。
それを「昇華」させ「幸せ」を感じられること──。
これが自身に芽生えた、新たな「『絶対』の定義 」
※関連スペル
確定要素「絶対」
根幹的な部分で「運が良い」とは、この「絶対」を手に入れられることも多分に含まれているような気がする。
「絶対」とは、云わずもがな「対を絶する」ことだ。「ふたつでひとつ」なのだから必然的に「対」は並び得ない。両極を併せ呑むのだ──必然的に「絶対」だ。
両極でひとつ──。
この、本来、極々当たり前で自然なことを難解な思考を介せず「潔」を以て冷静に、ときには情熱的に、自分自身の「糧」として取り入れられること。
未だ体感せぬ、未曾有の快感が、そこに眠っているようにも感じる。
未知なるものに「期待」を抱く訳でもなく、体感せぬものに「安心」を得る訳でもなく、「潔」を以て、依らず、凭れず、望みを絶し、それを得ることこそ自分自身である、と。それを知る唯一の人間が自分自身である、と。
それが、高潔なるナルシスト。
高潔なるナルシストの共鳴。
字を当て換えて、響命──。
相反する高潔なナルシストの融合体。
…ふたつでひとつ…
他者に「つがい」と評されようとも、当事者間で息苦しいくらい「自然」であれば、世に迎合した既存のラグジュアリーは非道く陳腐で滑稽なのかも知れない。
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