降り頻る土砂降りの雨の中、ひとりの男が傘も差さずに立ち尽くしている。長目の前髪は遮眼帯のように重く垂れ込め、眼光の奥に宿った妖しげな光を封印していた。
それでも空気の波動は抑制できない。未知なる波動が五感の機能を度外視して脳内に独自のインパルスを伝える。
蹲っている白いそれも傘らしきものを持っていなかったが、濁黒の暗雲から降り注がれる忌々しいシャワーを健気に受け止めていた。
立ち尽くしていた男が歩み寄る。
「どうした? こんな時間に」
白いそれは何も応えない。男は顎を撫でた。
「傘は…って、俺もないが風邪引くぜ?」
口許を綻ばせながら再び声を掛けたが、依然、蹲ったまま。眼を凝らすと、小刻みに肩を震わせているようだった。ゆっくりと廻り込む。
見ると、土砂降りの中でもそれと分かる液体──大きな瞳からは止め処なく泪が溢れていた。男が眼を細める。
「哀しい──のか?」
白いそれは首を横に振った。
「では、何故──?」
白い少女は視線で眼の前を差した。視線を落とすと、そこには茶褐色の毛で覆われた小動物が転がっていた。
その周りには深紅の海が毒々しく拡がっている。動かなくなったそれを情け容赦なく叩き付けるシャワーが耳障りだ。男の短い吐息が洩れる。
「大事なもの──なのか?」
少女は、こくりと頷く。
「そうか──」
男はそう呟くと、少し下がって居なさい、と云った。彼女は男の云うままに後退りした。長い睫毛が泪で縁取られている。
男はゆっくりと屈み、魂の抜け殻にそっと掌を翳した。そして、少女の訝しげな視線を他所に眼を閉じて何やら呟いている。
すーっと大きく息を吸い込み、自分の掌に吹き掛けた。すると、細かい光の粒子が無数に湧き上がった。少女が眼を瞠る。
そして、無数に湧いた光のパーティクルをひとつ残らず包み込むと、バーテンダーのようにシェイクし始めた。
指の間から洩れ出す光の色が蒼白色に変わったとき、男はゆっくりと掌を拡げ、小動物に振り掛けた。光の軌跡が螺旋を描く。
土砂降りの雨が重力を無視して空中静止。切り取られた空間が静寂に支配される。
暫くしてから再び雨音が鼓膜を刺激した。呆気に取られていた少女は夢から醒めたように眼を瞬かせた。男は微笑を浮かべると、立ち上がってその場から立ち去ろうとしていた。
「あなたは、一体?」
事態を呑み込めない少女がそう訊くと、振り向き様に微笑みを浮かべ、
「通りすがりの魔法使いさ」
と、男が呟いた。
「魔法使い?」
「ああ。知らないのかい?」
「そんな子供騙しが…」
それを聞くと、男は愉快そうに肩を揺すり少女に背を向けた。
「またね」
彼女は暫く男の背中を眺めていたが、突然、足許から聞こえてきた鳴き声に耳を疑った。はっと足許を見る。
周りに拡がっていた深紅の海はいつの間にか消え去り、足許には彼女の大事なものが愛くるしく擦り寄っていた。少女の瞳には驚きと喜びが入り交じる。ふと男が立ち去った方向に視線を投げた。
男の姿は少女の哀しみと共に闇夜に溶けていた。
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