[会話/戯曲]危険人物
(2007/07/23 19:44:55)


「──あなたは危ない人だわ」

ひとつ開けたカウンター席に坐っていた女が不意に口火を切る。

「君に俺の何が見えるんだ?」

大振りのロックグラスの中の氷をカランと鳴らしてから、女を見るともなしに男が訊く。


「見えなくても空気がそれを伝えるわ」
「何も纏っちゃいない。素っ裸さ」

「いいえ。雰囲気を着ているわ」
「面白い──」

「笑わそうとは思ってないわ」
「狙うと外れるケースもある」

女が僅かに口許を綻ばせると、男の口許にも笑みが浮かぶ。ロックグラスをコースターの上に置き、「逢ったばかりで何が解る?」と訊いた。

「理解に時間は必要?」

女は男に真っ直ぐ視線を向ける。その視線を感じながら男は再びグラスを手に取った。ひと口接吻けてから「そう云うケースもある」と呟いた。

「そう。まどろっこしいのね」
「おつむの出来は不平等なのさ」

「わたしは理解に時間は要らない」
「俺も無駄遣いはできないタチだ」

「昔から?」
「ああ。厳しく躾けられた」

「フフ。聡明なご両親ね」
「や、俺を作ったくらいだ。相当な閑人だろう」

「尊敬はしていない、と?」
「尊敬てな、もっと高い位置で寝そべってるのさ。彼らはその足許にも及んでない」

「随分ね──」
「ああ。親不孝者だからな」

「そんなことはないと思うわ」
「生憎、俺は嘘がつけない」

「フフ。面白い人」
「危ないの次は面白い、か」

「あなた、ひとりで何役やってるの?」
「ケース・バイ・ケースさ」

笑みをたたえた女の唇に透明な発泡性飲料が吸い込まれた。しなやかな指先に挟まれたコリンズグラスの中で、細かな泡粒が幾筋かのラインを描く。男がその指先に見とれていると、視線を感じた女が「気になる?」と訊いた。男は視線を逸らし、煙草を1本取り出した。

「左手の薬指に指輪はしてないわ」

男がオイル・ライターで火を点けた。ふうと煙を吐きながら不敵な笑みを浮かべる。

「──そんなことは気にしちゃいない」

「あら。ワイルドね」
「情熱的なだけさ」

「わたし、情熱的な人、好きだわ」
「俺好みの女は誰でもそう云うよ」

「あら。背負ってるのね」
「ああ。背負い切れないほどさ」

「フフ。面白い人」
「危ない人は卒業したようだな?」

「いいえ。留年決定よ」
「成る程。おつむの出来はやはり不平等だ」

煙草を挟んだ左手にロック・グラスを持った。グラスを傾けると、琥珀色の液体が氷の間からすり抜けるように流れ出し、独特の芳香と共に男の喉に滑り込む。

「何故、俺を危ない人だと?」
「そう感じたのよ」

「そうか」
「ええ。殺意? そんなものに似た何かを感じたわ」

「殺意、か」
「ええ」

男はグラスの中の氷をカラカラと鳴らした。視線は何処を見るともなく虚空を彷徨っている。

「神経がまともだと本当に実行しそうで怖いんだ」
「何を?」

「その殺意とやらの解消を図る、その実稼働さ。相手の身を案じてしまう」
「そう」

「だから、こうして神経回路を麻痺させるのさ」
「随分と恨んでるのね?」

「や、恨みはない。執着もない。未練もない」
「ないない尽くし…… 何もないのね」

「ああ、何もない。驚くほどにスッ空かんさ」
「色即是空、ね?」

「難しい話は苦手だよ」
「あら。嘘はつけないって、さっき」

「ああ。意識して嘘はつかない」
「もし、あなたが女だったら相当な性悪女ね?」

「ああ。性悪女には綺麗な女が多い」
「わたしが男だったら間違いなく惚れるわ」

「君も相当、面白い女だね?」
「ええ。わたし、悪食ですもの」

「そうか。じゃ、下手物喰いは君に任せるよ」
「わたしの悪食って清濁併せ呑むってことよ? 何でも咀嚼して好き嫌いなく何でもよく食べるの」

「成る程。食欲旺盛で聡明だ。俺も悪食をそう定義している」
「それとも、あなた、自分が下手物だとでも?」

「どう云うことだ?」
「わたし、あなたを狙ってるのよ?」

「ほう。おっかないね」
「いいえ。あなたには負けるわよ」

「逃げるつもりはないがね」
「逃がすつもりもないわ」

「お手柔らかに頼むよ」
「いえ。ハードに行くわ」

「ほう。ワイルドだな」
「情熱的なだけよ」

「面白い女だ」
「いい女の間違いでしょ?」

「才色兼備だ」
「欲張りですもの」

「そうと決まれば話は早い」
「何の話?」

「君は俺を狙ってるんだろ?」
「ええ。そうよ」

「だったら、こんな所でぐずぐずしてられない」
「こんな所だなんて。お店の人に悪いわ」

「気にしちゃいないさ」
「割りと繊細かもよ?」

「俺は俺より繊細な奴を俺以外に知らない」
「うふふ。背負ってるわね」

「そう云ったろ?」
「ひとりじゃ背負い切れないわ」

「手伝うつもりは?」
「わたしで構わないの?」

「君じゃなきゃ駄目だ」
「いつ決めたの?」

「つい今し方さ」
「自分勝手な人ね」

「君には負けるさ」
「キリがないわね」

「ああ。勝負しないほうがお互いの為さ」
「そうね。仲良くしましょ」

女はそう云うと、コリンズ・グラスを傾けた。いきなり、男がその手を掴んだ。女がはっと驚く。男は掴んだ手を逆手に捻りながら凄んだ。

「いいか。これだけは云っておく。俺以外の男をこの指先で触れたら──」
「──触れたら?」

「手首から切り落とす」

女の視線は男に釘付けだ。少し動揺の色も見て取れる。

「忘れないでくれ」

そう云うと、男は手を離した。落ち着きを取り戻すように女が訊いた。

「いつ決めたの?」
「つい今し方さ」

「フフ。せっかちね?」
「理解に時間は要らない」

お互いの視線がふたりの空間で絡み合う。

「解ったわ。あなた以外の男には触れない」
「物分かりのいい女は嫌いじゃない」

女が微笑を浮かべる。やっぱり… と云い掛けた女の唇を男は指先ひとつで封じた。

「あなたは危ない人だわ──」

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