遠藤周作の著作は今回が初の拝読と云うことになる。難しい文体ではなく、読み易く噛み砕かれていた。
間違ったキリスト教観。と云うより宗教教義について誤解があることを提示されていたが、思うにすべての宗教教義には「誤解」が付き物だ。
真理とは、その当人が感ずる真理が真理であって、普遍的な何人たりともに当て嵌まるような絶対的真理と云うものは恐らく存在しない。
愛を説くキリスト。
彼が生前、無理解者に囲まれ、裏切りに遇い、非業の死を遂げたことに重なる部分があった。
そして、彼の説く愛と僕の感じている愛に非常に近似値を覚えたのも事実だ。やはり、感受性豊かな人には見えるのだろうか。
彼は所謂「奇跡」と呼ばれる「事実」はひとつも行っていない。「真実」と「事実」の違いを知ったような気がする。
僕は彼ほど被虐的では居られないので、何処までも「赦す」と云うことは、到底、無理だろう。
穿った云い方をすれば、彼もまた神に縋り、そして、見棄てられ、魂の器を失ったひとり──我々と何ら変わらない一個の人間だ。
ただ、改めて自身の抱く「宗教心」と云うものに何かが加わったような気がする。
遠藤氏は「旧約聖書の神」と「新約聖書の神」は同一ではない、と云う。
詳細な教義にまでは及んでいないが、旧約聖書の神は世俗的であり、地域密着型のような気がした。この神は謀反者を厳しく罰し、逆らった者を容赦しない。要は「救わない」と云うこと。
対する新約聖書の神は敵をも愛し、これを赦す。ただ、「赦しを請えば」と云う「暗黙の条件」が見受けられた。旧でも新でも根底での差異は殆どない。
やはり、どちらの神も完璧ではない。神ですら完璧ではないのだから我々が完璧を欲することがどれほど愚かしいことか…
そんなことを痛烈に感じる。
故に僕は縋らない。自身の生きた「教義」が僕のすべてだ。そして、それは魂の器が滅却されれば、その時点で潰える。
我が魂の命ずるままに──。
このマントラに拍車が掛かった。キリストが孤独に苛まれたまま哀しみの淵で処刑されたように、僕も僕の愛を胸に抱いたまま朽ち果てるだけだ。
僕の云う「マイナスの美学」の中には、心のデス・ノートに記名した名前をひとつひとつ消してゆく、と云う作業が含まれている。
願わくば、朽ち果てるまでに完遂したい。
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