[エッセイ/随想]食と教育考
(2008/04/12 17:27:42)


僕の食に対する感覚の問題と云うのは、心療内科系で括ると「摂食障害」と云うことになる。

多分、綴っている本人が一番自覚しているのだが、恐らく、僕からは「食」と云うイメージがないと思われる。圧倒的に「飲」のほう。そちらのイメージのほうが鮮烈だ。

「vin.さんはいつもグラス片手なイメージがある」
こんなことはよく云われるので、正直、何とも思わない。


特に、女性の前では… と云うより、多くの他人が犇めいている状況で「自分が食べている様」を晒すことに「躊躇」に似た念が強く感じられる。

「自意識過剰」なども多分に含まれているだろうが… 立派な摂食障害だろうと自己認識している。

事実、僕はやたらと人前で食べている様を晒さない。そのシーンは極限られた人たちだけが見られる。


この辺りは、「野生の本能」に近い問題だと考えられる。野生動物は…野生に限らず…喰っているとき、食事しているときが「一番怖い」。

ライオンの食事シーンをイメージして欲しい。こんなときに下手に近づいたら、それこそ喰い殺されるだろう。
や、食事のとき以外でも十二分に怖いが…w

彼らは食事しているときが最も無防備で油断しているときである、と云うことを誰に教わることなく本能で察知しているのだ。僕もそう感じる──故に「威嚇」するのだ、と。

逆説的に派生して…

「食事接待」と云うのは、この本能に基づくセオリーのひとつだ。喰っているときが一番弱く、判断力なども鈍るのだ。

弱いところを撞く。
営業に詐欺が含まれないことは決してないw


摂食障害の要因は、所謂「自己防衛本能」のひとつだと考えられる。その他多くのメンヘル系の障害などにも、これらが密接に関わっている、と考えられる。

「障害」と云う、割と不都合なラベルを貼られる最大の要因。

それは、それら「本来の当たり前」「有りの儘」──があることを忘れさせようとしている向きにとって非常に不都合であるからだ、と。僕には、そんな風に思えてならない。

彼らは「通俗的な常識」を最も重んじる。僕のような因子があることは非常に不都合なのだ、と。


「教育」の二文字の中には「恐るべき事実」が隠蔽されている。

──巧妙な洗脳──。

それが恐るべき事実の全貌である。


教育とは、恣意的な思惑巨頭が操作する、種も仕掛けもある計算されたマジックである。

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