消灯された部屋で彼は静かにソファに坐っていた。
しばらく悠々と煙草を燻らしていると、カチリと鍵の開く音がドアから聞こえてきた。
部屋の灯りを点け、彼の存在に気付くと、彼女は持っていた荷物を床に落とした。
瞳には明らかに動揺の色が見て取れる。彼は微動だにせず坐っている。
「誰……?」
恐る恐る彼女が訊くと、彼は微笑を浮かべた。
「誰? 随分なご挨拶だな」
そう云って、煙草の灰を灰皿で揉み消した。
「どうしてここに……?」
「取り戻しにきた」
「え?」
「自分の持ち物を」
「何もかも。全部、送ったはずだわ……」
「や、全部じゃない」
そう云いながら、彼はゆっくりと彼女に近づいた。後退りする彼女。
「怖がらないで。僕が優しいのはよく知っているだろ?」
「ええ、それは… でも……」
「でも──何だい?」
「……」
緊迫した空気が張り詰める。
「すべて手に入れた」
「すべて?」
「ああ。君以外、すべて」
「──」
「旅の途中で、すべて掻き集めた」
「──」
「君に相応しい男になるために」
「──」
「他にいい人でも出来たのかい?」
「いえ、でも……」
「でも──何だい?」
「……」
彼は彼女の頬にそっと触れた。一瞬、びくっとしたが、やがて、彼女はその手を取った。
「あなたのことは好きよ。でも……」
「でも──何だい?」
「好き過ぎて…壊れそうになってしまうの……」
彼が眉を八の字にする。
「分かるでしょ? わたしの気持ち……」
「ああ。痛いほど伝わるよ」
「だから、お願い。もう赦して……」
「大丈夫」
「え? 何が大丈夫なの?」
彼は微笑を浮かべた。
「壊れたら直してあげるよ、僕が」
「あなたが……?」
「ああ。厭かい?」
彼女は彼の手を強く握り締め、首を横に振る。
「僕はすべて手に入れたが、何も埋まらない」
「──」
「君じゃないと駄目なんだ」
「ああ……」
彼女の躰が崩れた。素早く腰を降ろし、抱き寄せる彼。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「いえ、云ったでしょう? 壊れそうになるって……」
彼は彼女の鼻の頭を指先でちょこんと触れた。
「大丈夫。僕が居るから」
「ああ、あなた……」
彼女はそう云うと、彼に全身を預けた。彼の眼から何故か涙が溢れていたが、口許には笑みが零れていた。
「待たせたな。途中で道草喰ってた」
「非道いわ……」
「埋め合わせはするよ、君が埋めてくれるなら」
「わたしでいいの?」
「君じゃなきゃ駄目だ」
「──」
彼女の眼からも涙が溢れていたが、口許には笑みが零れていた。
ふたりは絡めた視線を片時も外さない。
空白の時間を埋め合うように、お互いを確かめ合うように、ふたりは固く、慈しむように抱擁した。
緊迫した空気は緩やかに溶け、漣のような空間に様変わりした。
恋い焦がれた心地好い再会──。
前世の記憶で編み上げた魂の鎖は決して解けない。
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