ソドム(ヘブライ語 ????、英語 Sodom)とゴモラ(?????、Gomorrah)は、旧約聖書の『創世記』に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市。後代の預言者たちがソドムとゴモラに言及している部分では、例外なくヤハウェの裁きによる滅びの象徴として用いられている。
ソドムの罪については、『エゼキエル書』16章49-50節において、多くの点が指摘されている。古来、『創世記』19章前半、特に19章8節のロトの提案内容から推察して、甚だしい性の乱れが最大の原因であったとする見解が一般的である。ただし「ソドムの罪」を男色だとする説は今日では全くの#asterisk1">謬見 *1)であることが証明されている(「客人冷遇」が原因であることは既にコンセンサスとなっている)。
ソドムとゴモラの廃墟は死海南部の湖底に沈んだと伝えられる。これは、「シディムの谷」と「アスファルト」に関する『創世記』の描写と、死海南部の状況が似通っていることなどから、一般にもそう信じられているが、その一方で、死海南岸付近に点在する遺跡と結びつけようとする研究者も存在する。
ソドムを死海南東部に位置する前期青銅器時代(紀元前3150年-2200年)の#asterisk2">都市遺跡 Bab edh-Dhra *2)、ゴモラをこの遺跡に隣接する同時代の#asterisk2">都市遺跡 Numeira *3)と考える研究者もいる。いずれも現代のヨルダン・ハシミテ王国、カラク県に位置する。
なおこの都市遺跡の近隣には、天から降る硫黄と火からロトが逃げ込んだとされる#asterisk4">ロトの洞窟の遺跡 Deir Ain Abata *4)がある。ビザンチン時代に、ロトの洞窟の伝説地の上に教会が建てられたが、この教会の遺跡が現在残されている。教会の左手には、ロトが逃げ込んだとされる洞窟が実在する。
創世記によると、この洞窟でロトと二人の娘の間に生まれた子どもが、モアブとアンモンのふたつの民族の祖先となったとされるが、ロトの洞窟を含む前述の遺跡すべてが、かつてモアブと呼ばれた地、現代のカラク県(ヨルダン王国)にあることは、ソドムとゴモラ、ロト、そしてモアブの伝承を考える上で興味深い。上記の考古遺跡から出土した考古資料は、現在ヨルダンのカラク考古博物館(カラク城内)やアンマン国立考古博物館で見ることができる。
イスラエル南部の干拓地にセドムと表記される都市がある。
【ソドムとゴモラを題材とした芸術作品】
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