僕は孤独を確認するために喧噪に紛れ込む。大爆音とは行かないまでも陳腐なノイズが耳を掠める。
とても耳障りだ。
それでもそこに身を置こうとするのは、僕が余程のMなのだろう。自虐的なのもここまで来ると逆に清々しい。
このノイズに晒されていると、不思議と気持ちが鎮まる。
母親の胎内に居た頃、ラジオのホワイトノイズめいた音を聞いていたと云うから、多分、その所為なのかも知れない。
一切の感情が鎮火するのだ。喜怒哀楽──それらの要素が漣のような穏やかな揺らぎを見せるだけで目立って突出するものがなくなる。
精神世界は怖いくらいに、ひんやりとした静寂に包まれる。
それでも時折、気になるフレーズなりが飛び込んで来たりもする。
すると、自身の中で静かに自問自答が始まるのだが、その答えを聞けない他人が何故か可哀想に思えたりもする。
なんで、そんなトコで引っ掛かるかなぁ…
嗚呼、可哀想に…
聞き耳を立てている訳ではない。自然に耳に入ってくるのだ。そして、見なくてもすべてが見えてくる。
透明なガラス容器に納められた飴玉のように──例え、何色だか分からなくても舌の上で「味」が転がる。
それで十分だろう。
僕は「努力不要説」を唱える。
努力して得られるものはそれはそれで尊いものだが、根底的な地力の格差でいとも容易く覆る。
努力とは、そもそもそれ(結実する可能性と好都合な結果)が備わっている者の美徳であり、ない者はないことを自覚することのほうが重要だと感じるからだ、無駄な悪足掻きを防ぐためにも。
「高尚な諦め」とは、こう云うこと。未だ見ぬ可能性から目を背けることとは似て非なるもの。
プロセスとは、飽くまで、結果を導き出すまで常に揺蕩っている。「見切り」を付けるタイミングでそれぞれの結果に分岐する。
プラス要素とマイナス要素とに置き換えれば、すぐに紐解ける。
マイナス要素と云うのは幾らでも「理由」や「原因」が挙がるが、プラス要素の場合には殆ど挙がらない。往々にして「理由が分からない」ことが多かったりするものだ。
分からないと云うより「公式がない」「方程式がない」と云ったほうが理解に容易いか…
何故か? それは、すべて「結果論」だからだ。プロセスは重要視されない。
例えば、他人の失敗なりに寛容になれないのは、こう云ったマイナス要素ばかりを追う、自身の性癖に気付いていないからだ。要するに、自分のことは棚上げする。
他人に対して干渉のベクトルしか向けられないのは、やはり、「身の程知らず」が大きな要因のひとつなのだろう。
僕が云う「他人などどうでもいい」とは、こう云った心の動きがあるからに他ならない。
存在を肯定するだけで事足りる。そして、感謝の念が抱ける者にだけ自身の贔屓目を注げば良い。
僕の「独断と偏見」とは、こう云うこと。
僕は孤独を確認するために喧噪に紛れ込む。大爆音とは行かないまでも陳腐なノイズが耳を掠める。
とても耳障りだ。
耳障りだが心が休まる。
人は愚かだから生きていられるのだ。本当に利口ならば、きっと耐え切れないだろう、この暴風雨が吹き荒れる狂った世界に──。
僕は胎内回帰願望を擬似的に捏造し、現れるはずもなかろう未だ見ぬ大天才に想いを馳せる。
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